お義母さんの婚活シリーズ、第7話目。
第6話目【1970年代の婚活(6) 釣書の中身とお見合い写真】の続きです。
▼シリーズ1話目はこちらから
【1970年代の婚活(1) お見合いに対するホンネの話】。
登場人物紹介
嫁えむふじん
今回は義父にも話を少し聞いた作者。
ヤングなえむはは
旦那えむしの母であり私の義母。当時結婚したいとは思っていなかった。お見合いは嫌だけど、お見合いをすれば洋服を買ってもらう約束になっていた。なんだかんだで状況はすんなり受け入れるタイプ。
こうばば
えむははの母。当時は40代半ばを過ぎた頃。神戸に住んでいたので、苗字は「かんべ」にしました。
ヤングなえむちち
1970年当時の義父。私の旦那、えむしの父である。実は結婚する気は無かった。
えむふじんの日常Lv652
トイレから戻ってきたえむははが見えたので、誤解は数秒後に解けたらしい。
こうばばさんは、義父が改札の向こうで1人立って待っていたのですぐわかったそうな。
えむちちさんは、うちのお母さん(こうばば)をみて、ギリギリお見合い相手の可能性はあるのかもと思ったみたい。でも、冷静に考えたらそんなわけないわな。
家の都合
こうして話を聞くと、義父、義母ともに結婚願望がなかったのは意外でした。
お見合いをし、結婚をさせたかったのは家の都合や親の意向も大きかったようです。でも特別なことでも無く「どこの家も大体そんなもんだ」と受け入れていた部分もあったそう。
当時えむははの方は兄が結婚し、お嫁さんが家に来たばかりの頃。えむははは20歳そこそこで小姑と言う立場になってしまいました。
そう言った理由もあり、こうばばは親としても適齢期(当時は23くらい)を迎える頃には嫁がせたいと考えていたんだろうなと語っていました。
1970年代の婚活
コメント
コメント一覧 (11)
自動改札が開発されたのは1966年だそうですよ
国の話と個人の話を一緒にしてもらってもねえ
結婚して子育てしやすい環境を作らないからでしょ
そんな事ばかり言ってたら少子化が進んで、年金制度の維持が難しくなり政府は70歳まで働いてもらえないかな、と言い出した。
そんな今の世がよいの?
そういうことは意識しないで見合いを重ねてたけど
結果的に南東の人と結ばれた。で、二人とも学歴は平凡だけど
その子共は今は医者になってバリバリ働いてる。
今はいい時代だ結婚するかしないかすら個人の自由で親が肩身が狭くなるからという圧力もないし結婚相手も自分で決めていい
本人達が乗り気じゃないのに、どう結婚ってなったのかw